こんにちは、マモルです。

『見えないトラウマ解放セッション』12月分日程、引き続き、お申し込み受付中です。こちらをご確認いただき、よかったらどうぞ。

では、またまた、セッションをお受けいただいた方との、やりとりのご紹介です。

9月の早い段階で初回のセッションをお受けいただき、約3ヶ月空いて、2回目のセッションをお受けくださった、30代の方。

残りのトラウマは、20代の3つと30代の1つの合計4つとなっており、うまくいけば、今回で全部クリアできるかな?という感じで臨みました。

すると、まず、最初の「20歳」で、さっそく「影響物質」の反応が。

以下、そこをめぐるやりとりです(※簡単に整理してまとめています)

 

(私)『えーと、どうも、人ではないんだよね・・・生き物、動物・・・この当時、ペット飼ってたりしませんでした?』

『はい、犬を飼ってました』

(私)『なんていう名前でした?』

『〇〇です』

(私)『あー、その子ですね。

別にその子が、何か悪いことの原因になっているとか、そういうことではなくて。

その子と一緒に過ごしていた、楽しかった時間が忘れられないというか、その時間にずっととどまっていたい思いがあるというか、それゆえに、なかなか先に進めないというか・・・そういう感じのトラウマになってしまっているんでしょうね。

では、そこを外していきましょう・・・』

 

・・・という感じで、ここはサクサクと、手順を踏ませていただいて。

20代の残り2つは、あまり時間がかかることもなく、クリアしていきます。

そして、最後の30代。

やはり、「影響物質」が出てきましたが、今度は、「人」です。

 

(私)『うーんと、女性なんだけど、友人・知人とかではなくて、何かのサークルとか集まり、グループの中で一緒というか・・・その頃、そんな感じで、仲があまりよくなかった人とか、トラブルになった人とか、いません?』

『いやー、えー、特に全然…思い当たらないです』

(私)『なんとなく、面識はあるけれど、お互いよく知らないというか、ほとんど話したこともないというか、でも、あまりいい印象は抱いていない、という感じの人だと思うんですが・・・』

 

・・・しばらくの間、二人して、「ああでもない、こうでもない」と、やりとり。

すると、この方、ふと、思い出します。

 

『嫌な感じの人ということなら、・・・そういえば、この頃は、仕事の帰りに、会社の人に誘われて、ちょっとジョギングしていて、ちゃんとしたサークルってわけでもないんですけど、一緒のグループで走っていた人達がいたんです。

すると、そこに、誰からの紹介でもないのに、急に入り込んできたというか、「私も入れてくださいよ、今度ごはん連れてってくださいよ」みたいに、割り込もうとしてきた女の人がいて、ムっとした覚えがあります』

(私)『あー、それだ、その人だね。名前、覚えてます?』

『いや、顔をちょっと覚えているぐらいで、名前までは。話を直接したこともないですし』

(私)『でも、その人で間違いないですね。

たぶんですけど、もしその人が仲間に入り込んできてしまったら、せっかくの自分の居心地のいい空間が壊れてしまうのではないか、自分の居場所がなくなってしまうんじゃないか、そうなったら嫌だなあ、という気持ちが働いたんじゃないですかね。

ほんのちょっとしたことかもしれないけれど、それが、大きな心の傷になっている、ということなんだろうと思います。

で、あくまでこれは、「一つの象徴」であって、他にも、同じようなタイプの、たくさんの傷を抱えているんじゃないかな、と思いますよ。

先ほど、昔のペットが出てきたのも、これまた、「私とペットの大切な世界を失いたくなかった」、という思いからのものだったのかもしれませんね。

では、そこを、外していきましょう…』

 

・・・というわけで、この方、私のこの説明では、まだちょっと納得しきれていない感じもありましたが、とりあえず手順を踏んでいき、「全年齢のトラウマクリア」に、無事到達されました。

何はともあれ、よかったです。

こういうこと、この方に限ったことではなく、誰しもあることだと思いますが、みんな、「自分の居心地のいい場所・いい空間・いい関係性」が、壊れてしまうのは、嫌ですし、怖いんですよね。

それが自分にとって、安心で安全で居心地がいいものであればあるほど、「ずっとこのままでいたい」と思ってしまうのは、当たり前のこと。

でも、人生は全て、諸行無常。

何一つ不変なものはなくて、時間の経過とともに、常に何かしら変化していくし、始まりがあれば、終わりもある。

それは、誰しもが、頭の中では、わかっていること。

そして、受け入れていくこと。

しかし、それが、この方にとっては、「トラウマ」というレベルにカウントされてしまうほど、受け入れがたく感じられていたものだったとすれば、、、きっとその奥底には、何か大きな理由があったのでしょう。

そのあたり、この後、「自分の内側」を見ていくやりとりの中で、浮かび上がってきました。

それについては、また明日のブログで。続きます。

きょうも明るいほうへ  マモル