こんにちは、マモルです。

本日6月30日、多くの神社では、「夏越の大祓」の礼大祭日ですね。

あ、でも、もちろん、このブログの読者の皆様は、神社に参拝しちゃ、ダメですよ。

先日のブログでお伝えした、「5つのよくない影響」のどれかが、確実に降りかかってくると思いますからね。

そして。

唐突ですが。

そろそろ、生き方・考え方を、変えていくべきタイミングなのかもしれません。

そもそも、いまの神社は、ほとんどの方にとって、おおむね、「今の状態よりもよくなりたくて、それを神様の力を借りて、叶えてもらおう」という意図をもって、お願いをしに行くところになっていたかと思います。

「いや、私は、個人的な願いごとなどしていないよ、国や地域の発展や世界平和をお願いしているんだよ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、それもまた、「お願い」には、違いありませんよね。

もしくは、「私は、お願いごとは一切せず、ただ感謝をしているだけですよ」「自分はこれからこうします、見ていてください、と宣言しているだけですよ」という方もいらっしゃるかもしれませんが、その裏側には、感謝すること・宣言することを通じて、「今よりもっとよくなりたい」という意図が、あるはずです。

ですが、それらの行為が、逆に、「よくない影響」を招くようになってきてしまった。

これは、ある意味で。

「もう、神社に、神様方に、“今よりもっとよくなりたい”という思いを寄せては、いけなくなった」ということでも、あるかもしれない、と思うんですよね。

途端に、なんだかちょっと極端な、何かの思想っぽい話になってしまって、恐縮ですが。

これらのことは。

そろそろ、「もっとよくなりたい」という、『願望実現第一主義』的思考・行動から、もう抜け出していくべきタイミングに差し掛かってきている、それに伴って起きてきている現象のような気がするんです。

歴史的経緯や、神社という存在の本質的意義の話はいったんおいといて、いまのこの日本での、『願望実現第一主義』的思考・行動の象徴的存在が、「神社」であるからこそ、こういうことが起きてきているのではないかな、と思ったりもするんです。

もちろん、「願望」そのものを否定するわけではありません。

大きくとらえれば、生物としての「本能的欲望」に関係してくるところもでもあるでしょうし、それがなければ、ここまでの科学技術の発展や、生活水準の向上等も、なかったかと思います。

でも、一方で、その行き過ぎが、いろいろな問題を引き起こしてきていることも、周知の事実で。

要は、「願望を持つこと」そのものではなくて、「願望実現」自体を第一の是、人生の目的とするような生き方・考え方が、もう行き詰まりを迎えてきたのではないかな、と思っているわけです。

私はこれまでも、再三「明るく軽く」と、呼びかけてきましたが。

そこには、いま目の前の現実や具体的な環境がどうあれ、毎日を「明るく軽く」生きていさえすれば、その人にとって本当に必要なことは、必ず叶えられていく、という思いがあります。

よく言われることですが、「願望」についても、「叶わなかったら叶わないでもいいけれど、まあ叶ったらうれしいな」ぐらいの軽い感じで構えておくと、意外とあっさり叶ったりするものです。

逆に、「叶わなかったら自分の人生終わりだ」みたいに、ものすごく思い詰められてしまうと、なかなか叶いません。

「思い」は、「重い」からです。

まあ、私も、つい数年前までは、神社仏閣、パワースポット等に行きまくって、お願いをしまくっていた人間ですので、大きなことは言えませんが。

「神社」に行って、お百度を踏んだり、高いお金を払ってご祈祷・ご祈願しまくるよりも、ご利益ありそうな、霊験あらたかそうな神社をたくさん回って、参拝しまくるよりも。

目の前の一つ一つのことに、ただ丁寧にとりくみ、目の前にいる人を大切にして、明るく軽く、シンプルに生きていく

その方が、よっぽど、「願望」も、叶いやすいのではないかな、と、いまは思います。

そして、もっと踏み込んで言えば。

確かにこれまで、神社参拝が「願望実現」に有効だった時代はあったけれども、八百万の神様方が願いを叶えてくれていた時代はあったけれど、もう「いま」は、そうではなくなった、切り替わった、ということなんだろうと思います。

これには、昨年2月下旬の「見えない世界の大変化が、大きく関係しており。

その影響が、具体的に、いくつかの「現象」として明確に出てくるようになったのが、この「神社参拝」の問題であり、「魔界」の問題であり、「妖・物の怪」や「死霊・生霊」等の活性化であり、一方で、ひとつの“光明”にもなっている、「言葉の力」の強大化でも、あるのだろうと思います。

昨日までの3日間、「自分でできる夏越浄化」というタイトルで、いろいろお伝えしてきましたが。

「片付け・断捨離」を通じて、必要最小限の物しか持たず、綺麗に整理整頓された中でのシンプルな暮らしをして。

「いい言葉」「温かな笑顔」で、自分の周りの環境や、目の前の人とともに過ごす空間のエネルギーを高めていく、明るくしていく。

そういう毎日を過ごしていく。

そうしていくことが、自分自身にとっても、自分とご縁のある人たちにとっても、必要であり必然であり最高であり最善である、「よき状態」をつくっていくことにつながるのではないかな、と思ったりしております。

そして、もしかしたら。

そういう生き方・考え方を実践していくことで。

今のこの「神社参拝によって起きてきている5つのよくない影響」も、消していくことができるようになるのかもしれません。

これまで私は、神社参拝によって悪影響が起こってくることについて、「”神仏のフリをした見えない世界のよくない存在”が、神社に入り込んで悪さをしている」という意味合いで、ずっと受け止めてきましたが。

実際、「魔界」関係の場合は、その通りだと思うんですが。

そうではなくて、こと「神社参拝」だけに限って考えると、神様が、「今までのような感覚でいるのは、もう違うよ」ということを、伝えてくれているのかもしれないなあ、と思ったりしております。

だからこそ、「片付け・断捨離」をして、「いい言葉」を使い、いつも「笑顔」で過ごし、「明るく軽く」生きていくことを優先させていく。

その結果として、「よくない影響」も消えて、「よき状態」がつくられていく。

そういうことをわかってもらうために、起きてきていることなのではないかなと、けっこう本気で、そう思っています。

ぜひ、令和5年のちょうど半分、いわゆる「夏越の大祓」にあたるこの節目の日。

「夏越浄化セッション2023」を受けていらっしゃる方も、そうでない方も。

今年前半のもろもろを、しっかり浄化していただき。

同時に、ご自身のこれからの生き方・考え方について、ちょっと真剣に思いを巡らしてみる一日にしていただけるといいかな、と思っております。

皆様のこれからを、引き続き応援させていただきますね。

きょうも明るいほうへ マモル