こんにちは、マモルです。

『夏越の大浄化SP』、昨日の2日目は、「血液の浄化」だけ、行わせていただきました。

本日3日目は、「F49+、浄化と変化変容促進の光」を、就寝中に受け取っていただくことになるかと思います。

お受けいただく皆様、どうぞよろしくお願い致しますね。

では、引き続き、『F49+、浄化と魂の真価を発揮させる光のセッション』にて、いただいたご感想・ご報告、その8です。

こちらのブログでもご報告させていただいた、「実家にイタチが入り込んだ」というN子様。

これについては、「ダークサイドの関係性の断ち切りに伴うサインですね」とお伝えさせていただきました。

それを受けて、あらためてご自身やご両親のことを思い返されての気づき、そして、ご自身の家で起きてきた出来事とは。

本当は他にもたくさんメールのやりとりがあるのですが、大事なポイントだけに絞って、抜粋してご紹介しますね。

 

【N子様から、6/4にいただいたメール ※一部略、一部文言整理】

『思い返すと、父も母も、長らく、自分のことより人のこと、世の為人の為、弱い人の為、兄弟は助け合う、それが喜びというか、そうするものである、みたいな感じで、自己犠牲的にはみえず、誰からもよい人と見られるような生き方?でした。

でも、いつも、うまくというか、ちゃっかりというか、利用する人が、周りにいたような気がします。

その人たちに、悪意があったのかどうかは、わかりませんが。

泣いて頼まれたからと、置き薬屋さんの箱が、家に合計3個あったとか。

佃煮売りの学生が来て、1000円で買ったとか。

何十年にもわたって、宗教関係の勧誘の人が訪ねてくると、家の前で話し込んだりとか。

性善説に基づきすぎで、人が良すぎるというか、最近はもう、時代が違うかも、と思ったりしています。

うまく書ききれませんが・・・』

 

【N子様から、6/19にいただいたメール ※一部略、一部文言整理】

『イタチの件は、駆除業者にも入ってもらい、なんとか落ち着きました。

最近の流れで思ったこと、実家がらみのこと、書かせてください。

私自身、両親のように、誰に対しても、本心から優しい?人にならないといけないと思って、生きてきました。

でも、どこか違和感や、「私はそんな善い人間ではない」という気持ちを抱えたまま、いい年になってしまいました。
 
自分のために楽しむとか、お金を使うことに常に罪悪感があり(親は何不自由なく育ててくれましたが、物心ついた時からそんな資格がない気がして)、つい最近まで、何か自分の勝手な好きなものを(食材とかではなく洋服とか)買いたい時は、難民とか赤十字とか、どこかに寄付をしてから、罪悪感を軽減させていました。

なんだか、バチが当たりそうで。

もしくは、わざわざ、自分が嫌なことに遭遇するように(無意識に)持っていっては、「ほら、やっぱり私はダメね」とホッとしてから、買い物したり。

ずっとそういうパターンで、自分に喜びを与えること、楽しむことがなんなのかわかりませんでした。

「楽しむのは、罪」みたいな感じでした。

何かの贖罪のような気持ち、罪悪感が、私には生まれつき、あったと思います。

両親がどうだったのかは、わかりません。

父は、全て根っから天然な真面目、人のことを悪くとらない、悪く言わない人で。

母は、子供の頃、占い師に、「自分のことより人のことに尽くしたら運が開けます」と言われたそうで、それに一生洗脳されて、縛られていたのでは?と思います。

母は、学校の通知表にも、「自分のことが済んでから、人のことを手伝いましょう」と、いつも書かれていたぐらいだそうで。

図画工作などで、遅い子がいると気になって、自分の作品は完成してないのに、手伝ってしまいがちだったそうです。

最近までは、そんな母のことを「なんて優しい人だ」と思い、「私もそういう人にならないと」と、常に思っていました。

今なら、「それって、その遅い子の成長や学びを阻害していたんじゃないの?」と、思ったりします。

私も、他人から見れば、「人がよい」「優しい」と言われるタイプのようで。

そのせいなのか、若い頃は、街に出るとしょっちゅう、宗教の勧誘をされていました。

いつも、そんな自分も、周りも、嫌いでした。

セッションを受け続けてきた理由も、結局は、根深い贖罪意識・罪悪感が、私に、そして両親や家系に、あるからなのかなあ、と感じたりします。

でも、それが、ようやく無くなりつつある、と思っています』

 

・・・そんな風に、セッションを通じて、自分と深く向き合ってきたN子様。

その後、ビックリするような出来事が、また起きました。

 

【N子様から、6/22にいただいたメール ※一部略、一部文言整理】

『きょうは用事があり、夫婦で出かけて、帰宅したのは夜9時半ぐらい。

シャワーを浴びて、遅いご飯を食べよう、くたびれたね、、、と、居間の電気を点けたところ。

なんだか、首や腕に、糸か髪の毛?みたいな、まとわりつく感触があり。

ふと見上げると。

天井いっぱいに、蜘蛛の子供が、もう、100匹ぐらい這い回って、ぶら下がって降りてる子もいて、衝撃でした。

初めてのことで私も主人もパニックになり、「蜘蛛を殺したらダメよね!でも多すぎる!イヤー!なに!なに!」と。

なぜか私の父に電話してみたら、「掃除機で吸うしかないよ」と言われ、仕方なく、掃除機で、天井や壁の蜘蛛の子を吸いました。

大きさは、蚊ぐらいの、茶色い、小さいやつで。

「もう全部吸ったね、蜘蛛の子、ごめんね、ごめんね」と思っていたら。

今度は、夫が、テレビの裏の床を覗いて、固まっています。

「トマトのへたにも見えるけど、あれって蜘蛛?」とか言うので。

見てみると。

もう、手足を広げたら8センチぐらいある真っ黒の大きな蜘蛛で、「キャアーーーーーー!」と叫んでしまいました。

たぶん、蜘蛛のママです。

調べましたら、卵鞘を天井に貼り付けて、孵化を見守っていたんだと思います。

で、私達が帰宅したので、テレビの後ろに隠れたのでしょう。

「とにかく逃そう」と、夫が棒で追い出して、私が器で蓋をしようと構えましたが、これまた走るのが早くて、めちゃくちゃ気持ち悪い動きで、捕まえられず。

ゴキブリを追いかけて捕えることができる速さだそうです。

追いかけっこを想像するのも、死にそうです。

探していると、玄関にうずくまっていたので、ドアを開けて、外に追い出しました。

一件落着でしたが、どっと疲れました。

今は笑えますが、実家のイタチに続き、そんなことで、クタクタになりました。

母蜘蛛ということで、私も同じ雌の生物として、申し訳なかったですが…。

私が、「蜘蛛ママも掃除機で吸おうか」というと、「そんな掃除機は二度と使えない、とにかく逃がそう」と、強く言ったのは夫でした。

夫も、現実的な人の割には、私より変なところが甘いというか、優しいところがあります。

とにかくこれからは、家に入り込まれたりしないよう、掃除や対策等を、徹底していこうと思います』

 

・・・N子様、イタチから蜘蛛まで、大変でしたね。

そして、いろいろ思い返していくと、ご自身の「優しさ」というものが、実は「罪悪感」からのものではないかと気づけてきた、それはすごく大きいと思います。

気づけたということは、それを手放すことができてきている、ということですからね。

そして、その「偽物の優しさ」「自罰としての優しさ」につけこむように、ダークサイド的ないろいろな存在は、入り込んでくる。

蜘蛛が登場してきたのは、気づきの最後の仕上げのサインみたいなものだったのではないでしょうか。

母蜘蛛を退治せず、外に逃がすだけにしてしまったのが、よかったのか悪かったのかは何とも言えませんが、これからはもう、家に入り込まれないように、きちんと掃除や対策をする、その決意ができたのなら、それはそれでよかったと思いますよ。

そのようにして構えることが、外側だけでなく、内側の気持ちにも、反映されていきますからね。

いずれにしても、おおもとの贖罪意識・罪悪感的なものに、今回のセッションではかなり深く手をかけ、その浄化と解除・解放に伴っての具現化した「膿み出し」としての、イタチであり、蜘蛛だったのでしょう。

ここからまた、N子様の目の前の現実は、大きく変わっていくと思います。

どうぞ、ここからは、「ご自身の幸せのため」に、生きていってくださいね。

今度は、また楽しい嬉しいご報告みたいなメールをいただけることを、楽しみにしておりますね。

それでは、他にもまだまだたくさんメールをいただいてはいるのですが、とりあえず、「魂真価S」にていただいたご感想・ご報告のご紹介は、いったんここまでとさせていただきます。

また思い出したように追加報告させていただくかもしれませんが、お許しくださいませ。

きょうも明るいほうへ  マモル