こんにちは、マモルです。
7月1日ですね。
いろいろあった令和5年も、なんとか中間点をすぎ、いよいよ後半に入っていきます。
正直、今年は、年始から「魔界」関係の対応に追われまくって、内心、「世界はもう、今年で一気にダメになるんじゃないか、下手したら、春を迎えられないんじゃないか」と思ったときもあったぐらいでして。
なんとかこの半年を乗り越えて、これから残りの半年に向かっていくことができるのは、私としても、大変うれしい限りです。
とはいえ、この間、やっぱり、ジワジワと、日本は、世界は、人間側の立場から見れば、「悪くなっていく一方」で。
あらためてこの半年を振り返っていただくと、日本国内のことだけに限っても、いろんな方面で、「これまでの当たり前、これまでの常識が、どんどん崩れていく」という現象が、けっこう起こってきていたと思います。
そして、何度も申しあげてきた通り、この傾向は、これからもどんどん加速していくばかりだろうと思います。
個人の力ではどうにも打開できない、「こんなはずじゃなかった」と思うような事態に直面することも、増えていくと思います。
そんな中で、どう生きていけばいいのか。
昨日のブログの中でも申し上げましたが、いよいよ、生き方・考え方を、転換していくべき時期に来ていると思うんですね。
ただひたすら、個人の「願望」を実現させようと、それを追いかけることに、躍起になるのではなく。
また、その「願望」がなかなか叶わないからと言って、やたらと悲観したり絶望したり、投げやりに生きることなく。
とにかく、目の前のことをきちんと受け入れたうえで、そのひとつひとつと丁寧に向き合い、深刻になりすぎることなく、「明るく軽く」すごしながら、その中で、自分なりの「花」を、咲かせていく。
そして、自分の周囲の大事な人たちをも、その「花」の美しさで、癒し和ませ元気づけ、そして、周囲の人たちにも、それぞれの「花」を咲かせてもらう。
そういう風に生きていくことが大事かな、と思ったりしております。
そうしていけば、この大変な時代の中でも、それぞれの人にとって、必要十分なことは、ちゃんと与えられていくのではないかと。
そんな風に思っています。
まあ、私が下手な言葉でいろいろ綴っても、あまり説得力もないかもしれませんので、よかたら、この週末、あらためて、この本を読んでください。
一昨日のブログでも取り上げましたが、この本の中に、一番のエッセンスが詰まっていると思います。
著者の故・渡辺和子さんは、キリスト教の修道者ですが、宗教に関係なく、「これからの苦難の時代の生き方の指針となる名著」だと、あらためて思っています。
第一章・第一節の「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」から、すこし抜粋します。
●『置かれた場所に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。
人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせよう。
(中略)それは、「私が変わる」ことによってのみ可能でした』
●『「置かれたところ」は、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的であるときもあることでしょう。信じていた人の裏切りも、その一つです。
人によっては、置かれたところがベッドの上ということもあり、歳を取って周囲から“役立たず”と思われ、片隅に追いやられることさえあるかもしれません。
そんな日にも咲く心を持ち続けましょう』
・・・そう、これからどんなに「苦難の時代」を迎えていくにしても、それでも、人は、「幸せ」になることは、「幸せ」に生きることは、できるのですから。
私の方でも、そのためのサポートを続けていきますので、一緒に、「明るく軽く」、進んでいきましょう。
なお、このあたりの私の思いについては、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、昨日、ホームページのTOPページの内容を更新させていただき、その中で、ちょっと詳しくご説明させていただいておりますので、またご確認ください。
では、令和5年の後半も、引き続き、どうぞよろしくお願い致しますね。
きょうも明るいほうへ マモル